エレクトタイムス20 2001/10/18 木幡東介・独演独創鑑賞記
高円寺ペンギンハウスに於けるソロ公演も本日で3回目。西洋居酒屋風の、気取りの無いリラックスした雰囲気の和やかな店内も、木幡がステージに登場するや、客席に緊張感が張り詰める。良い感触、良い観客である。ファンであろうが無かろうが、料金を支払うからには、観客をナメた演奏や態度のミュージシャンを決して許してはならない。その様な音楽家を甘やかす事が、結局は良い音楽に肩身の狭い思いをさせ、私達音楽ファンに不利益を、引いては我が国の文化まで衰退せしめているのだ。しかしその点、こと木幡に関して言えば、その心配は全く無いと言って良い。だが、それは貴方自身が、その目と耳、そして足を使って確かめるべきであり、この文章さえも、厳しい審美眼を以て接して欲しいと私は願う。 さて、本題に入ろう。この日は、前半がエレキ・ギター及びアコギによる弾き語り、後半が一部SE使用によるドラム・ソロと言った2部構成であったのだが、何と言っても圧巻だったのがギターの弾き語りである。手前味噌ながら、数年間ほぼ欠かさず木幡のソロ演奏を鑑続けている私が驚く程の目覚しい飛躍がそこにはあった。エレキ・ギターの演奏については、まさしく開眼と呼ぶに相応しい、まるで全身全体あるいは指先から放電、そして更にそれを縦横無尽、自由自在に操り、感情の機微そして言葉に置き換えきれない想いのたけを、時に激しく時に繊細に、その強弱、音色によって具現するかの様な、もはや歌うことや喋る事よりも饒舌な奏法を確立、それらは何度か披露されていたが、やはり本日の最大の衝撃であり収穫は、歌唱法の革命的な進歩であろう。否、それは呼吸法と言い換えた方が良いかもしれない。メリハリすなわち強弱のつけ方が尋常では無いのだ。要はシャウトする個所の瞬発力がハンパでは無く、口から風を噴き出すと言うか、頭蓋骨が口から飛び出さんばかり、と言えば想像して頂けるだろうか。この、まるで武道家の様な肉体の用い方が木幡の特色の一つであり、魅力の一端でもあろう。そして何より重要なのは、普通、メリハリをつけると言うと、若さでパワーに溢れていた人間が体力の衰えから、引く所は引く事を覚え、表現力は増すものの、全体的には大人しくなってしまうものなのだが、御安心を。この男に関しては、引くのでは無く、押す所を更に押す。押して押して押しまくる。よって、逆に繊細さを要求される部分さえをも輝きを失わぬ相乗効果を生み出しているのだ。 人は皆、放っておけが衰え老いる。すなわち時間に押し流され、死に向かって、ただつき進む。それに逆らう事は、非常にエネルギーの要る事だ。しかし、無自覚に生かされるのでは無く、意識的に生きようとする事。そこにこそ生命の輝きがあり、美しさがある。音楽の善し悪しに、音楽に対する姿勢やその人の生き方は必ず反映する。一種の美学を以って音楽を創っている人間の作品は、ジャンルこそ違えど皆一様に素晴らしい。そう言った意味でも、本日の演奏は実に素晴らしいものであった。美学無き音楽は雑音に等しく、美学無き人生は死に等しいのだ。
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