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エレクトタイムス19 2001年10日6日号

未だ、真に正当な評価を勝ち得ているとは言いがたい“マリア観音”及び、彼らを率いる“木幡東介”。とは言え、そもそも彼らの音楽自体も、同様にその理想現実に至る途上にあり、未完成である事は否めない。しかし、彼らの歩みを振り返る時、その進化の過程こそは先駆者の軌跡であり、オリジナリティ獲得の困難さ、真の自己表現とは何たるかをまざまざと見せつけられる想いがする。生演奏を何度か観た事がある者ならば、衰えるどころか爆発力を増す一方の、そのテンションの高さに驚愕するであろううし、未体験者ならば、これまでに発表されたCD作品を順番に聴いて行けば、進歩の度合いは一目瞭然であり、バンドの力量がある水準に達するや否や、木幡がソロ作品にて新たな課題を提出するかの如く、その方向性を指し示し、メンバーを更なる境地へと鍛え上げる。その飽く無き繰り返しこそが彼らの成長の源であると共に、それ故に数々の悲劇をも伴った事実は、先駆者ゆえの試練であり宿命であろう。 それでは、現在の彼らはどの様な位置にあるのだろうか。最近のマリア観音のサウンドは、その完成型の設計図、あるいは骨格とでも呼べる、実にシンプルかつ誤解の余地無き、素手による格闘技の様相を呈している。それは、誰もが西洋ロックもしくは既に在る何らかの音楽スタイルに盲目的あるいは意識的に隷属する現状に対する異議申し立てであり、彼ら自信にとっても西洋ロックの呪縛から脱却する過程に於いて原点に還るのは必然であり、更に言うなれば、日本人として…と言うよりは、自分に誇りを持つならば、真に自己の芯であり核であるDNAから音を発するべきであり、貧弱な肉体や貧困な思想にコンプレックスがあるのならば鍛えるなり、それを個性と呼べる迄、磨きをかければ良いものを、ブランド品の洋服を何の問題意識も抱かず身に纏うかの如き安易な表現者は一向に減る様子は無い。もちろん、西洋ロックにそれだけ魅力があるのも事実であり、いくらマリア観音や木幡がオリジナリティの追及及び確立を謳おうが、発せられる音に魅力が無ければそれまでである。肉体性や思想性を問わぬ音響系なるジャンルが持てはやされる現在、彼らの前途はまさしく道無き道を往く…であろうか。 木幡東介の表現活動に於ける進化とは、その内面世界に深く入り込み、繊細なるが故の激しい情動や細やかなる感情の機微を濁らせる事無く伝達せんが為の表現獲得の“深”化であり、他者のスタイルを模倣する事無く、オリジナリティの追及すなわち新たなるスタイルを確立せんとする“新”化であり、そもそもがその表現の題材たる自己と正直に向き合い、真に自分らしくあろうとする“真”化である。しかし、それらは自己表現者としてとるべき当然の態度であり、最低条件であり、木幡に対し本当に評価すべき点は、現在存在する全ての音楽を越えるものを創る為ならば、自分の限界をも更に越えようと常に格闘する姿勢である。この男こそは偶然に頼らぬ真の前衛芸術家であり、革命家として英雄になるか、殉教者となり犬死にするか…。今はただ、信念を貫く特攻あるのみである。


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