野生の異名としての芸術

野生が社会通念に敗北すれば この世は闇である。

マリア観音という民族音楽。


目先の平和と引き換えに、押し付けられた西洋の宗教を庶民レベルの自分たちの生活様式に適応させるべく仏教、神道、民俗信仰等取り入れ本来の教義も含みながら時には逸脱もして果てには殉教も辞さない独自の強い信仰にまで変化した。そして押し付けられた元の教義には決して戻らない。

これは宗教というものは人の数だけあり、人は各々が自分固有の宗教を確立しなければ幸せになることはできないと言い換えることもできることを意味している。

これを音楽活動に置き換えてみる。

西洋の楽器、音階を使用してはいても拍の取り方は日本の伝統音楽、野生動物に由来する。発声は日本語に由来する。ある場面では言葉が音を牽引し、またある場面では無音の中に音符が混沌する。

全身全霊を酷使した創造のための破壊が限りなく繰り返される。

青天白日、背徳の扉、不発弾、蠍にもらった拳、ウスバカゲロウ、義眼、菊のいる空、秋から冬へ、月下香、といった曲の数々は日本の自然、人、動植物、物、共同体、森羅万象に対する限りない愛情をその起源としている。

さぁ 始めよう。